ログカラキ

音楽や漫画が好きな週末ロードバイク(Cannondale)乗りのブログ。

目の前で起こっている「異質」から目を背けるな~辺見庸「反逆する風景」~

「もの食う人びと」を数年前に買って読み、その後この本の存在を知って購入したものの何故か1年近く放置してしまっていた。本文の説明にも書かれているが、「もの食う人びと」が陽当たりの良い地表部分なのに対して「反逆する風景」は湿った地下茎と呼べる。「もの食う人びと」では書けなかった無意識の部分、取り留めの無い観覧車についての思索あるいは妄想、学生時代の話、友人の(少なくとも著者にとって)特異な性癖の話などがまとめられている。

そもそも僕が辺見庸の著作に手を出した理由はtoeというバンドの曲で「反逆する風景」というタイトルがあったからだ。この曲自体はアルバムの冒頭にある短いリード曲。決してありきたりなタイトルではないから、おそらくこの本から名付けたのだと思う。この本を読めば、曲やアルバムをもっと違った聴き方が出来るかもしれないと思い買い求めた。しかし本屋を探しても見つからず、仕方なくAmazonで検索をかけたら何故かもの食う人びとの方に目がいってしまい、結局そちらを買った。
 
もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

 

 

自分の目を通して見た風景に対して、自分自身がどう思ったのかを深く掘り下げていく。内省的ではあるのだけれど、不思議と閉じている感じがしない。そこは著者の文章力、構成力の成せる技だろうか。共感できたのは、旅行している時にその旅と関わりのある本を読まずに全く関係のない本を読んでいるという点。例えば海外へ行った時にその国の紀行文などは読まずに夏目漱石の「夢十夜」を読むといった具合だ。これは僕自身も旅行に行く時にそうしている。ただし行動は同じでも理由は異なっていおり、著者の場合は自分がどこにいようと自分の中にある地下茎は常に本を求めているからだという。自分を持っているなあと思った。周りに流されないというか、しっかりと自分の感性を持ち合わせていてそれを刻々と磨いている感じがして実に格好良い。僕の場合はただただ日本語が恋しいという何とも女々しい理由なのが情けない。あとはギャップだろうか。スイカに塩的な発想かもしれないが、海外に行って日本の純文学やらエッセイやらを読むのは妙な背徳感があって心地よかったりするのだ。
 
辺見庸というフィルターを通して見る風景はどのようなものなのか、そのフィルターの淵に手をかけて覗きこむことがこの本で出来ると思う。
 
先日読んだ小飼弾さんの本でも似たようなことは書かれていたけど、本に書かれていることを鵜呑みにせずに自分の視点からの考えを持つのが大事なんだろうね。そのじゃないと周りの情報に流されて自分の人生をコントロール出来なくなってしまう危険があるし。僕もまだまだだけど、もっともっと判断力や知識を身に付けてサバイバルする力を身に付けないといけないなと考えさせられた本でした。
 
反逆する風景 (講談社文庫)

反逆する風景 (講談社文庫)